第1回:事実とは何だろう?

 今回のテーマは『事実とは何だろう?』で、エッセイストはトニーです。

 このブログの仕組みについては、前の記事をご覧下さい。

 

https://tony-gyanta.hatenablog.com/entry/2022/05/21/185843

 

 まず、このテーマを思い付いて直ぐに考えたことは、何が事実で、何が事実でないか、その線引きは何なのか?ということである。素朴に考えると、事実とは正しそうなものであるように思われる。例えば、

 

A: 富士山は日本一高い山である

 

は事実のように感じる。一方で、

 

B: 富士山は日本一綺麗な山である

 

ということは事実であるか微妙である。確かに富士山が一番綺麗な山である論拠をいくつか列挙することは出来るかもしれない(例えば歴史に残るような絵画の中で富士山が最も多く描かれてきた山である、など)。けれど、それなりの論拠を持って富士山以外の山(例えば高尾山)の方が綺麗だと言う人のことを僕たちは容易に想定することが出来る。

 ここまで書いてみて2つの疑問が浮かんだ。

 まず1つ目は、富士山が日本一高い山であることはもちろん日本の公式な統計調査の結果ではあるだろうが、それを疑う人はいるだろう、ということである。「僕自身が全ての山の高さを測って比較した訳ではないのだから」というのはもっともらしい理由である。そうであるとすると、AとBの違いは曖昧になる。

 2つ目の疑問は、「富士山は日本一綺麗な山である」を「僕は富士山が日本一綺麗な山であると思っている」に置き換えれば、それを間違いだと言える人はあまりいないのではないか、ということである。しかし、これは個人の感想であって事実とは異なるもののように思われる。

  まず1つ目の疑問について解消するために、それぞれの主張を信じそうな人の数を比較してみると、富士山が日本一高い山でないと思う人もいるかもしれないが、その数は富士山が日本一綺麗な山でないと言う人に比べれば遥かに少ないと思われる。つまり、事実は、多くの人が正しいものと受け入れているものであるべきである(全ての人が正しいと受け入れる必要はない)。恐らくこの違いは、Aの文章で用いられている言葉の定義が多くの人にとって1つの意味に定まっているのに対して、Bの文章で用いられている「綺麗」と言う言葉が多義的であることが要因であろう。追加で以下の例を考えてみると、こちらは事実であると感じる。

 

C: 日本において世界三大美女と言われているのは、クレオパトラ楊貴妃小野小町である

 

美女と言う言葉は本来は多義的であるが、「世界三大美女」という一まとめの言葉は、日本にその範囲を限定すればその意味が一意に定まるからであろう。

 

 次に2つ目の疑問を解消するために、その主張を客観的に検証出来るかどうかという議論を行うことにしよう。富士山が日本一高い山であることは、日本中の人で手分けして日本中の山の高さを測り、その記録を映像で残すなどすれば検証することが出来るだろう。一方で、「僕は富士山が日本一綺麗な山であると思っている」ことは僕の主観的な情報として多くの人が正しいと受け入れるかもしれないが、それを客観的に検証することは困難であろう。つまり、事実は客観的に検証が可能なものであるべきである。

 文字数をあまり増やしたくないので限られた具体例しか載せられなかったが、僕が自身の経験に基づいて納得できる「事実の定義」は以下のようなものである。

 

「事実とは、その正しさを多くの人が受け入れられるようなもので、かつ、その正しさを客観的に検証できるものである」