第3回:マイノリティとは何か -マイノリティの持続性-

 

 今回はトニーがエッセイを担当します。

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 最初のエッセイで僕は、マイノリティについて以下のように定義した。

 

「ある社会においてマイノリティと呼ばれる集団は、その大多数が社会からの抑圧を感じ、また、その抑圧が社会によって認知されている存在である」

 

 それに対してぎゃんたは、マイノリティには拡散型マイノリティと限定型マイノリティの2種類があることを指摘した。上記の定義は拡散型マイノリティに対応するものであり、日本ではよく用いられるようである。その一方で、ドイツなどではマイノリティは限定的に扱われ、ナショナル、エスニック、宗教、言語に対して用いられており、これら4つを特徴付けているのは、「次世代への継承を望むこと」と「自己再生産が可能であること」ということである。これら2つの要素を踏まえた上で、このエッセイでは「マイノリティの持続性」について論じてみたいと思う。

 

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 今マイノリティと呼ばれている人たちは将来的にもマイノリティであり続けるだろうか?

 恐らく、マイノリティがマイノリティでなくなるという現象には2つのパターンがある。1つ目は、マイノリティがマジョリティと同等の集団に変化する場合、2つ目はマイノリティと呼ばれる集団が消滅する(限定型マイノリティにとって望ましくない)場合である。幾つか具体例を挙げて、この問題を考えてみたいと思う。

 

 例えば、限定型マイノリティの一つである人種、その中でもアメリカの人種について考えてみよう。アメリカの人種の割合はそのうち白人を非白人が抜くことが予測されているはずである。さらにその先には白人以外の特定の人種が白人の人口を抜くかもしれない。もちろんこれまで見てきたように、マジョリティとマイノリティの議論は人数だけでは行えず、抑圧と非抑圧の関係こそが重要である。しかし白人が人種としてかなり減るのであれば(そして民主主義社会が持続するのであれば)、そのような状況で他の人種を抑圧する立場にあるとは思えない。そのような状況では、その時に最も人数的に多い白人以外の人種が他の人種を抑圧をする立場にあるのが自然だろう。繰り返しになるが、その時にマジョリティである人種は今の段階ではマイノリティである白人以外の人種である。このような予測は単純な予測ではあるが、あり得る未来の一つなのではないかと思う。もしそうなれば、今マイノリティと呼ばれている人種が将来的にはマジョリティになることになる。このように、マイノリティやマジョリティと呼ばれている人種は、その先も永遠にマイノリティやマジョリティであり続けるとは限らないのではないかと思う。また、このような状況は、人種に限らず全ての限定型マイノリティに共通して起こることであるだろう。

 一方で、ナチスによるユダヤ人の虐殺などのように特定の人種が差別され、さらに虐殺されるような状況では、マイノリティである人種に属する人々そのものが存続しなくなるという意味でマイノリティは消滅するだろう。

 

 次に、拡散型マイノリティの一つである貧困層について考えてみよう。貧困層はその定義から、富裕層に比べれば経済的な面で多くの制約を受けて生きることになるため、貧困層が一切の抑圧を感じなくなるような社会というのはなかなか実現されないのではないかと思う。

 また、貧困層そのものがいなくなるという状況も資本主義社会においてはあり得ないだろう。ある時期に貧困層に属している個人がその後自身の努力かもしくは宝くじに当たるなどによって中間層や富裕層になることはあり得るだろう。また、国家が貧困層を経済的に支援することもあり得るだろう。しかし、どのような状況においても、資本主義社会では貧困層という層それ自体がなくなることはあり得ないように思われる。一方で全財産を共有するような共産主義社会では、貧困層という層はそもそも存在しないだろう。つまり、貧困層は資本主義社会ではマイノリティとして持続するだろうが、社会体制が共産主義社会などに変われば消滅すると思われる。

 

 さらに、別の拡散型マイノリティとして障がい者、特に精神障がい者について考えてみよう。精神的な障がい者というカテゴリーについて考えると、医療技術がどれだけ進歩してもそのカテゴリーに属する人々をなくすことは不可能であるように個人的には思う。それは、精神というものが究極的に理解されることは恐らくないだろうと思うためである。これは単なる推測にはなるが、恐らく起こり得ることはむしろその逆で、起こるとすればそれは、人類の多くが何らかの重大な精神的な疾患を抱えているということが明らかになることなのではないかと思う。例えば、既に今でも様々な物事に対して「恐怖症」が定義されている(ウィキペディアなどで調べるとそのカテゴリーの多さに驚く)。脳科学の発展によってさらに精密にこのような精神状況が解明されていけば、ゆくゆくは皆なにかしらの精神障がいを持っているのが常識になる、という話はそこまで非現実的な話ではないのではないのだろうか。そうなれば精神障がい者はもはやマイノリティではなく、マジョリティとなる。

 

 これらの例で見てきたように、マイノリティというのはカテゴリーが持つ永続的な属性として決まっているものではなさそうである。マイノリティ自身の意志も重要ではあるが、それ以外の様々な要因から、それぞれの集団はマイノリティからマジョリティになることもあり、もしくは、その集団そのものが消滅することによってマイノリティでなくなることもあるだろう。

 

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 最後に一つ問いかけをしたいと思う。

 人間には様々な側面がある。人種、国籍、性別などなど。例えばある一つの側面を考えた時、あなたはマジョリティだろうか?それともマイノリティだろうか?